RINGと松根典央の軌跡

当店代表:松根典央とRINGができるまでの軌跡を載せました。
是非、必見下さい!!


2005年3月8日
「RINGが出来るまで」 -少年時代編-



 私事ですが、プロフィールを紹介させていただきます。私、松根典央はS49年2月13日生まれの31歳です。
幼少時代はプロレス少年でした。私のプロレス観戦歴は25年になります。小学校時代はプロレスラーに
なることが夢でした。自分の体一つで満員の会場を盛り上げ、気持ちを一つに出来るその姿はまさに憧れ
の存在だったのです。しかし、私は当時体が小さく、周りからも「お前には無理だよ」といつも説得されて
いました。その後も、プロレスラーになることは無理と分かりながら、せめて見る側からだけでもプロレスに
接して行こう。見る側からプロレスを応援して行こうと、中学・高校時代は何度も会場に足を運んでいました。



2005年3月14日
「RINGが出来るまで」-社会人時代-


 社会に入り、はじめに就いた仕事がホテルマンでした。その動機も単純で、ホテルに勤務すれば憧れの
レスラーと会えると思い、当時、選手が泊まるという噂のあった仙台市内の某ホテルに入社したのでした。
今思うと浅はかな動機ですよね(笑)
 そのホテルで出会ったのが今のチーフの大原さんでした。チーフは私よりも一年年上で、その分入社も
一年早く、非常に人思いで、面倒見もよく、多くの後輩に慕われていました。その時には12年後一緒に
働くことになるとは夢にも思いませんでした。これも何かの縁かもしれませんね。
 そして私はホテルバーのバーテンダーとして、チーフはフレンチ料理のフロアでお互いの、
ホテルマンとして、サービスマンとしての技術を高めていったのでした。

2005年3月29日
「RINGが出来るまで」-社会人時代その2-



 その後、22歳でホテルを辞めた私は、将来、自分の力で独立して何かをやっていきたい
という思いに駆られ、まずその前に、今の自分に素直になって何が出来るのかを
深く考える日々を過ごしました。
 当時の私は洋服が好きで、ファッション業界にも興味があったので洋服屋に勤めようかとも考えましたが、
私のお袋が、私が幼少の頃から国分町で働いていたので、お袋が何を考え、何を思って
国分町の飲食店で働いていたのかを自分なりに感じ取りたいと考えました。また、ホテルとは違った
飲食業の世界に触れてみる必要性を感じ、国分町にある、とあるお店に勤めることにしたのでした。



2005年4月10日
「RINGが出来るまで」-社会人時代その3ー



国分町内の某飲食店に勤務することになった私は、ホテルとは全く異なる客層に触れる仕事の中で、
わずかな休憩時間にタバコを吸っていると、今の自分の姿とホテルのバーカウンターに立っていた時の
自分との違いを強く感じるようになりました。
そして、自分が今後何をしていきたいのか考えたときに出てきた結論は
この町で繰り広げられる人間ドラマにはついていけない。国分町を離れよう
というものでした。

国分町を出た私は、以前からやりたいと思っていたファッション業界に飛び込む決心をし、
仙台フォーラスの地下にあった ロートレ・アモンmen's に勤める事にしたのでした。


2005年4月18日
「RINGが出来るまで」−フォーラス時代その1−


 私のフォーラスでの勤め始めはなんと初売りの日でした。今まで経験したことの無い朝5時半出勤に
戸惑いながらもフォーラスの通用門に行った私はこれまで、買う側として通っていたフォーラスに
いざ働く側として入った時そのフロア全体に広がる異様な空気に驚きました。そして、場違いなところに
来てしまったという後悔に襲われました。憧れの世界に入ったがために感じる、外から見える世界との
ギャップに戸惑う毎日が続きました。
 当時のロートレ・アモンはフォーラスmen's 18ブランド中16番目という売り上げで、会社からは
いつ撤退してもおかしくないといつも言われていました。
 私は仙台店で一番下のスタッフでしたが、これではいけないと思い、洋服について、接客について、
お客様とのつながりについて色々考え、それを実践していきました。その結果、わずか半年で私は
店長に昇進したのでした。


2005年4月23日
「RINGが出来るまで」−フォーラス時代その2−


店長になり私は、このロートレアモンというブランドはもっと売れるべき、有名になるべきブランドであり、
そのブランドとしての価値を高め、買ってくださったお客様に誇りを持っていただくようにすることが
私に与えられ使命だと感じました。
そのためには一緒に働くスタッフや社員との連携だけでなく、買ってくださるお客様とのつながりが
一層大切なものになると思い、これまで以上に、よりお客様の立場に立った接客を心がけました。
その結果、人気の無かったロートレはフォーラスでも一目置かれるようになったばかりでなく、
全国の支店の中でもトップクラスに躍り出たのでした。
でも、私が最もうれしかったのは、業界人の評価でも、売り上げトップという称号でもなく、
街中でロートレ・アモンの服を着たお客様とすれ違ったこと、その服を着た方を
「いい服だね。」と、言っている通りすがりの方を見ることが出来たことでした。


2005年7月1日

「RINGができるまで」−ShotBar リング開店-


 フォーラス内ででかい改装があり、ロートレアモンの売り場も広がり、売り上げも倍増し、
さあこれからと言う時、本社から連絡があり、ロートレアモンのMen'sの全店撤退を知らさせました。
いままでロートレアモンを買ってくださっていたお客様に、この事実をどう伝えようか、一緒にブランド価値を
上げてきてくれていた同僚たちに何と云おうか、考える余り眠れない日々が続きました。 
本社からは、東京勤務を勧められました。でも自分には仙台という拠点を大事にしたいという思い、
いつか必ず自分の店を出したいという思いがあったので、仙台でお店を出すことに決めたのです。
実際、他のブランドさんからのお誘いもありましたが、ロートレアモンを自信を持って
お客様に勧めていましたので、いまから他のものを売ることに抵抗を覚え、この機会を逆にチャンスと捉え、
自らの力を発揮でき、お客様とのつながりも保っていける RING を作る決意を固めたのでした。


2005年8月1日
「RINGができるまで」−完結編


 初めはホテルのバーでの経験を活かし、ショットバーとして開店しました。今のRINGとは違い、
ウイスキーとカクテルが主体のお店でした。開店直後に手相と出会いました。直接のきっかけは私の手相の
先生が、かつての僕のお店のお客様だったことです。
 ある日、先生がお店で飲みながら、お客様の手相を見ていました。手相をはじめ、占いには
全く興味のなかった私はお客様が手相を楽しまれてるのを見てショックを受けました。
 その後、手相は毎月のイベントとなり、いつも大好評でした。ある時、イベントのお礼をしに先生のところへ
出かけた時のこと、その先生に初めて手相を見ていただきました。勿論手相を見てもらうのは生れて初めて。
緊張しながら両手を出した時、一瞬自分が手の中に吸い込まれそうになりました。まるで手相が私に何かを
訴えてるような、そんな気分を感じたのです!!
 その後、自分でも手相を見るようになりました。まさにこれが僕の手相道の始まりでした!!
 お客様の手相を拝見し、手相を知っていく中で分かってきたことは、手相はみんなを幸せにすることが
出来るということ、そして幸せへの道筋が隠されているということでした。
 この幸せへの地図をお客様に示すのが私の使命だと思い、日々精進し続けました。その結果、
手相鑑定を求めて多くのお客様にご来店いただきました。Shot Bar RINGがお客様で溢れた時、私は
もう一度、独立した時のことを考えました。私が独立した時に掲げた目標、仙台への貢献、お客様への貢
献、
そして飲食店を経営する中で自分の価値を高めるいうこと、それを踏まえて、RINGを移転、改装する決意を
固めたのでした。
 
 そして、最高のパートナーである大原さんを迎え、新たに

        「和洋ダイニングRING」としての第二章


が始まったのでした。

 
そして今・・・多くのメンバー、多くのお客様、多くの出会いを通じ、RINGは更なる発展を続けています。
今後も止まることなく、多くのお客様に感動と幸せを得てもらう為に、日々精進してまいります。
これからもRINGを宜しくお願いいたします!!!


2009年1月1日

「RINGの五年間」−進化し続けるRINGを目指して-

「和洋ダイニングRING」
今振り返ると、あっという間の五年間でした!!
気がつけば、自分も35歳になります。いろいろなお客様に出会い
色々なことがありました。お店の方向性や自分自身の方向性で悩んだときも
ありました。そんな時はいつも手をみつめ、手相通りの行動で解決をしてきました。
改めて、手相はすごいですよ。
自分ものべ、7万人近くの手相を拝見してきました。
みさせていただき感謝の一言です。
お客様の手相を見ていてくなかで、自分自身の人生価値も上がり、
勇気づけられることもありました。

私自信を通して、いろんな人とのコミュニケーションも
手相で交流して行きたいとおもいます。
今では占いも手相に始まり、姓名判断、筆跡鑑定、人相学
ホロスコープとこれからも占い道を追求していきたいとおもいます。

今では手相の弟子も5人になりました。
ぜひRINGに足を運んでいただき、私以外の手相鑑定も
受けて頂きたいとおもいます。


 


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